脱・ストイック
どうもこんにちは、みさです。
三連休最終日の方も多いのではないでしょうか。
この連休中何かしたいな〜と思っていたところで夫にサイクリングに誘われました。
「チャリでその辺ぶらつく程度かな」と思って安請け合いしたのですが、実際はロードバイクで30キロの道のりを走るというものでした。
普段ママチャリには乗っていますが、ロードバイクは初体験。
前傾姿勢で乗るポーズからまずしんどい。
ブレーキの位置が前すぎて腕の長さが足りない。
満足に進むことも止まることもできない。
しかも普通に漕いでも自動車の徐行運転くらいのスピードが出るので最初は怖すぎて帰ろうかなと思いました。
でも辛抱強く練習しているうちにだんだん慣れてきて走れるようになりました。
アップダウンの少ないサイクリング向きな感じの川沿いの道を走ったので、景色が気持ち良く、時折低空飛行している鳥とかと一緒の速度で進んだりもできて楽しかったです。
他のサイクリストの皆さんともすれ違いざま会釈したりしていい気分でした。
気がつけばすごく遠いところまで来ていてびっくりしました。
一つだけ失敗したなと思ったのが、おやつを持ってこなかったことです。
めちゃくちゃお腹が空いてしまい、帰り道は食べたい食べ物をお経のように唱えながら己を鼓舞して漕ぎ続けました。
帰宅後のお風呂が異常に気持ちよかったです。
翌日の今日は筋肉痛がひどくて、マジで何もできません。
普段本当に運動をしないので、結構すごいことになっています。
米を研ぐのすらつらい。
でも、そろそろ申し込みをしている展示の新作制作に取り掛からねば…。
ここでさらっと告知をしますが、5月に名古屋で開催されるつくしチーム様主催アートルーミングマーケットに参加予定です。
ポストカードサイズ一枚です。
こちらの展示会はちょっと変わっていて、展示会でありながら即売会スタイルです。
初日で売れてしまった原画は残りの会期で見に行っても見れないということですね。
また進捗はTwitterの方で呟こうと思っていますが、現在私が考えている絵はあんまり万人受けするような感じにはならなさそうだったので会期最終日まで普通に鎮座していそうな気がします。
最後までお迎え先が決まらなかった原画は一部オンラインで購入できる仕組みになっているそうですので乞うご期待。
自分で自分にかけるプレッシャーに押しつぶされて他の展示会に出れていない期間が長くなっています。
でもアートルーミングマーケットに関してはとりあえず「今の自分を出せたらいいかな」くらいの易しいハードル設定にしています。
ストイックな自分よどこへ行った?という感じですが、自分に厳しくして結果が出せるタイプじゃないと気づいたのでそういうのはもう辞めました(笑)
写真はサイクリング中に見つけたつくしです。
(この写真、周りの草の方にピントが合ってる気がしますね。)
もう春ですね〜。
では。
チル
こんにちは、みさです。
みなさんは、一日のうち自分にご褒美を与えてあげる時間はありますか?
子育てや仕事に追われていると真っ先に削らなければならない、いわば、「それをやるのを忘れていても死ぬことはない」と言った優先順位の低い時間ではありますが、このご褒美タイムがあるのとないのでは自分の笑顔の量が違います。
私は最近意識的に作るようにしています。
そのときの自分のメンタルによってご褒美の内容は違うとは思いますが、今の私はアマプラで映画を見ながら、お気に入りの美味しいコーヒーを飲むことです。
結婚したときに義理の妹さんからお祝いとして手挽きのコーヒーミルをもらいました。
豆を買ってきてゴリゴリ挽きます。
挽いている間の香りもお楽しみポイントの一つです。
コーヒー通ではないし、違いの分かる女ってわけじゃないのですが、コクが深めのやつが好きみたいなのでそういう豆を探して買ってきました。
そうして淹れたコーヒーと、最近お気に入りのお菓子「サク山チョコ次郎」を用意して、お気に入りの映画を見ます。
今は「リトル・フォレスト」を見ています。
これまでは「かもめ食堂」「メガネ」「パンとスープとネコ日和」「青葉家のテーブル」を見てきました。
かもめ食堂は、なんとなく見たのですがこの空気感にどハマりしてしまいました。
優しくて、落ち着く。
そうして見終わって、この映画を見た人はこちらも見ていますと出てきたものを順番に見続けている感じです。
どれも美味しそうなお料理が出てきます。
リトル・フォレストはちょっと違うかもしれませんが、上にあげた四つは誰かを否定したりとかそういうのがないです。
いい意味でメッセージ性が薄いというか、安らぎに特化した作品といった感じ。
小さい頃から料理を作る番組を見るのが好きでした。
3分クッキングとか。
自分でも料理をするようになって、たとえば茹でていい色になったほうれん草とか、美味しそうな焼き目のついた卵焼きとか、そういうのを見て日々テンションが上がっています。
そういえば栗原はるみさんのお料理番組もアマプラにあった気がします。
ウォッチリストに入れておこっと。
では。
何度でも甦るおばさん
はてなブログさんにお世話になってもう2年以上は経つと思うのですが、いまだにスター機能がよく分からずにいます。
この記事を書こうと思ってログインし、友だちのブログを見に行ってみたら画面下方に星のマークが出ていたのに気づき五回ほど連打してみました。
ア・イ・シ・テ・ルのサインみたいなノリで押しましたが意味が違ったらごめんなさい。
というわけで、どうもこんにちは。みさです。
突然ですが私は18年くらい絵を描いています。
改めて年数をお伝えするとすごい人みたいな感じがしますが、絵に関しての偉業を何一つ成し遂げていないので、この数字からはうっすらと私の年齢を推察してもらえればOKです。
私と同年代の方なら分かっていただけると思うんですが、私たちが絵を描き始めた頃は無料で上達する方法が独学しか選択肢がありませんでした。
学校でも絵を描いている子=オタクみたいな構図が出来上がっていて。
上手くなりたいという純粋な気持ちは、誰にも打ち明けられないまま自分の中で燻らせるしかなかったように思います。
今のように、誰でも簡単に絵を発表できて、絵が上手くなるコツが比較的簡単に分かるような時代が来たのがちょっと羨ましいです。
有名どころで言うとさいとうなおき先生の動画なんて本当分かりやすくていいですよね。
自分が中学生の頃にこういう文化が享受できていたらなぁ。
ところで、私は昔から線が好きでした。
塗りか線かと言われれば圧倒的に線でした。
というのも、中学生のときクラスにめちゃめちゃ絵の上手い子がいて、その子が当時私が大好きだったシャーマンキングの葉くんをシャーペンで描いてくれたんです。
ものすごい高性能な機材を使っているわけじゃなく、シャーペンだけを使った絵でこんなに感動するんだと思いました。
多分、そのときから絵の上手い人=形を上手に取れる人(線が上手い人)という考え方になってしまったんでしょうね。
ずっと線に執着していたので、形を取ることに関して自分は非常に劣っているとすぐに分かりました。
なので線画が上達するドリルなんかを買ってきて練習したりもしています。
そんな私ですが、実は色に関しては謎の自信がありました。
ずっと私は何も学ばずとも魅力的な塗り方が出来ると信じていました。
(安心してください。自分でもこの文を書いていてとんでもない勘違い野郎だなと思っています。)
これに関しては本当に根拠が何もないです。
学生の頃塗りのセンスを褒められてことも一度もないです。
なんで自信を持っていたのか分かりません。
そんな私でしたが、最近なんか色を塗ってもしっくりこないことが続いていました。
前までは世に出せる程度にはまとまっていると思っていたのです…。
去年出させてもらった色がテーマの展示会は、壁一面に作品を飾るスタイルの展示だったのですが、
会場の様子を見て、周りの人と比べて色が劣っていると思いました。
なんかこう、「悪くないけど古い」のです。
結果的にはかけた時間の割に反響も少なかったと思いますので、こう思ったのは私だけではないということです。
しばらくショックで、解決策も見つからなくて深い穴の中に落ちてしまったような気分でした。
結構思い詰めるタイプなので、こんな気持ちになるならいっそ潔く筆を折ろうかと思いました。
ある日ふと気付いたのが、今バズってる絵を見て私も素敵だなって思っているということです。
ということは、「私の目は、若い人たちと同じものを見てちゃんといいと感じている」
しかし、私の塗り方に関しては、アップデートされていないまま今日まで来てしまった
だから、最近の自分の塗りを見てしっくりこなかったのだと気づきました。
つまり目だけアップデートされていたということです。
というわけで、しっくりくる塗りができるようになりたい!と思い奈落の底から這い上がってきました。
私は何度でも甦りますよ。
色練習するならアナログよりデジタルの方が適していると思ったので、iPadを買いました。
ペンタブで描こうかとも思ったのですが、手元と絵の距離が離れているのに慣れていないので挫折しそうだなと思ってやめました。
今後修行のためのデジタル絵が量産されていくと思いますが、なんかおばさんがもがいてるなーなんて思っておいてください。
何を目指しているかは自分でも分からないのですが、絵が上手くなりたいという気持ちだけが中学生の頃から永遠と心の奥で燃え続けています。
これを消してしまったら、なんか生きる気力がなくなっちゃうような気がしています。
そっと見守ってもらえたら嬉しいです。
では。
膝が痛い。
昨日軽くバスケをしたら筋肉痛がすごいです。
どうも、こんにちはみさです。
私に一番似合わない言葉は「バスケ」だと思います。
今日の記事の始まり方の違和感すごくないですか?
みささんが「バスケ」だって。
バスケとはもちろんバスケットボールのことです。
お正月の特番で日本代表の選手がバスケをしているのを見て急にやりたくなってしまい、夫と一緒にやってきました。
とは言っても簡単なことばかり。中学生の授業程度です。
結論から言うと全然できなかった。
上手い人のプレーを見て衝動的にやりたくなったけど、マジ体、全ッ然ついてこなかった。
あんな簡単な動きがなぜできないのか。
おまけにちょっと右膝をやってしまい、己の老化現象を体感しています。
体力があった頃も別にいいプレーができていたわけではないんですが…。
むしろ足手まといです。
試合中はパスを回されないように誰とも目を合わせず、でもサボっていると思われないように神経を研ぎ澄まして体育の時間を過ごしていました。
夫は小さい頃バスケを習っていたそうです。
一方、私は保育園の頃の運動会で玉入れは割と得意だったので、シュートに関しては負けないぞと思っていました。(これを夫に言ったら鼻で笑われました)
結果。全然入らない。
コントロール以前にボールがゴールまで届かない。
バスケットボールってこんなに重かったっけ…?
夫に全身を使って投げるようにレクチャーを受けましたが、感覚が掴めないまま体力の限界を迎えました。
帰宅後のお風呂とレモンサワーが美味しかったです。
せめて所定の位置までボールを投げれるように、筋トレしようと思いました…。
では今日はここまで。
【SNS疲れ】:TwitterなどのSNSにおけるネットコミュニケーションを長くまた頻繁に続けることにより、苦痛や疲労を感じる状態を指す言葉。
Twitter本アカの更新が途絶えて約一ヶ月が経ちました。
どうも、こんばんはみさです。
今まで、結構頻繁にTwitterを覗いていました。
監視していたと言った方が正しいかもしれません。
流れてくる情報をキャッチして、キャッチしてキャッチして。
トレンドを眺めているとどんどん変化していきます。
さっき盛り上がっていたと思えば1時間後には違う話題で盛り上がっている。
スクランブル交差点で人の流れを眺めているような気分です。
私が本アカとしているものは、イラスト用のアカウントです。
ちょっとでも心が動いた作家さんはフォローさせていただいています。
毎日大量に新しいイラストが流れてきます。
誰にでも瞬時に理解できる比較的分かりやすいようなものが栄えているように感じます。
基本的に「いいね」は欲しいです。
際限なく欲しいです。
でもこれを求めれば求めるほど苦しいんですよね。
きっといいねを50もらっても100もらってもまだ求めるだろうし、
いいねを求めて絵を描く限りずっと苦しいと思います。
会心の出来だと思った作品も、いいねの数が少なければ自分の中で評価を落としていってしまう現象が起こり始めました。
いいねを増やす努力として、流行りや分かりやすさを重視して絵を描こうと思い始めたあたりから楽しくなくなってきました。
もちろん他者評価も大切なのですが、絵を描くという行為は楽しめなければただの苦行であり続けられないというのが今の私の結論です。
そんなわけで。
切り替わりのテンポの速い情報についていくことや、
いいねを際限なく求めてしまうままならない気持ちの制御が難しくなってなんとなく本アカとは距離を置いています。
距離を置いただけで今後どのように運用していくかはまだ決めていません。
とりあえず自分を見失いそうになってしまう状態から脱したかったです。
Twitterで仲良くなった子もいるし、絵を発表する場があることはモチベーションにつなげることが出来ます。
人や機能に不満があるとかではなくて、これはあくまでも私だけの問題です。
自分を見つけたらまた戻ろうかな。予定は未定です。
では。
輝くゴールド免許
自分の性格を一言で表すなら間違いなく「ビビり」だと思います。
どうもこんにちは、慎重派のみさです。
石橋を叩いて渡る、ということわざがありますが、私にいたっては確認のしすぎで石橋を叩き壊して渡れない、と言ったところでしょうか。
元々はそんなことはなかったように思いますが、年齢を重ねるにつれ慎重さが増してきました。
自分でも嫌になるほどです。
外出時は施錠チェックを五周しますし、もし何か人様に迷惑をかけるようなことがあったら大変なのでガスの元栓なんかは異常なまでに確認をします。
そんな私は実は車の免許を取得しています。
しかし、完璧な安全運転をするにはあまりにチェック項目が多すぎてエンジンをつけるだけで既に心が疲弊してしまいます。
教習所で実習を受けたときにもう「私これ無理だわ」と薄々気付いてしまい、無事に免許取得したあとはペーパードライバーとして年を重ねてきました。
なんと14年。
ゴールド免許ですが、免許更新には自転車で行きます。
笑いたければ笑えばいい。
私はビビリなんだ。
でも、本当は車を運転する楽しみってやつを味わいたいという欲求はあります。
それを上回ってビビってるだけで。
ここ1年くらいイメージトレーニングを重ねました。
(助手席にいながら運転席に座った気分で道路を眺めるというもの。効果があるかは定かではない。)
そして今日、14年ぶりにハンドルを握りました。
夫に手取り足取り教えてもらい、なんとか直進をするすることができました。
興奮のあまり今でも手が震えています。
後ろの短気な爺さんにクラクションを鳴らされたときには頭が真っ白になって人生が終了したかと思いました。
こういうイレギュラーなことに対応する能力はまだないので、これから日々鍛錬していこうと思っています。
本当、車の運転してる人尊敬します…。
では。
勝手に縛られ、勝手に解いていく
ファンヒーターの電源を付けるとき、ボタンを押したあと数秒の間を置いてから鳴る「ジー…ボッ!!」という音に慣れず毎回びっくりしてしまいます。
どうも、こんにちはみさです。
ほんの数ヶ月前まで住んでいた私の実家では特にこれといった暖房はありませんでした。
唯一あったのはこたつでしたが、これは母の許可がないと使用できませんでした。
許可を出されるのは大体雪の降る日で、それ以外はダウンコートを着るか布団の中で過ごしていました。
夏の冷房についても同様で、長らくクーラーのない生活をしていました。
この様子について話すと周りの人は驚いたりしていましたが、私自身はこれといって不満もなく日々を送っていました。
実家を出て、全然違う家庭で育った人と生活をしてみて初めて気づくことが結構ありました。
「我が家のルール」というようなものですね。
母の作ったルールの多さに気づきました。
これには守られていた部分と縛られていた部分半々くらいの感覚です。
一人暮らしを始めた友人が「実家を出ると色々なことに気づくよ!」「自立できるよ!」と言っていたことを思い出しました。
話は変わりますが、今日は久しぶりにごぼうの炊き込みご飯を仕込みました。
炊飯器にセットして今炊いているところです。
炊きあがる直前、炊飯器の湯気が出るところからごぼうのいい香りがしてくるのが好きなんですよね。
割と渋いメニューですが、これは母からもらったレシピとかそういう訳ではなく
「ごはんのきほん(有元葉子著)」という本に載っていたレシピです。
そういえば母から受け継いだメニューみたいなものが何もないまま嫁に来てしまいました。
もともと全然料理ができない人なのですが、結構なんとかなりました。
さっきの本にも助けられましたし、YouTube見ながら一つずつ覚えていくのも楽しかったです。
夕飯のメニューも、ファンヒーターを買うことも、全部自分で決める。
それはメタボになっても、灯油の始末が面倒臭くても全部責任を負うということでもあります。
母の元を離れると小さなことから大きなことまで全部自分で決めなくてはならないですが、
一つ決めるたび「母の付属品だった私」から脱皮できるような感覚になりました。
そろそろごはんが炊きあがる頃です。
暖かい部屋でごぼうの炊き込みご飯を食べることにします。
では。